板門店ツアーと戦争記念館

ウーさんのガイドで緊張の現場を見に行きました


朝ガイドのパクさんが迎えに来て、普通タクシーで新羅ホテルへ行きました。

タクシー代はもちろんガイド持ち。

実を言うとタクシーはこの1回しか乗らなかったです。

次回は模範タクシーにも乗らないとね。

集合場所の新羅ホテルはきれいだなあ。

泊まってみたいなあ。

一泊70万ウォンだって。

結構きれいなヒョンデ(現代)のバスで出発進行。

指定席です。

個人を特定するために国連キャンプ内で乗り換えるバスも同じ席に座るよう言われます。

途中パスポートのチェックもありますし、バスに爆弾が仕掛けられて無いかのチェックもあるのです。

 

で、このあと90分ほど走ると国連軍のキャンプですが、写真撮影は一切禁止。

漢江の岸に有刺鉄線が張られていたり、金網の間に石が入っていてそれが落ちたら有事のしるしだったり、途中から道路の真ん中に戦車止めがあってスラロームで走ったりとなかなか不思議な場所でした。

途中で乗り換えた国連軍のバスはデウ(大宇)でした。

当然国連軍兵士のエスコート付きです。

米軍の若い兵士が乗ってきました。

ブリーフィングルームで過去の歴史を学習し、最後にこんな誓約書にサインさせられるのです。

無事に終わるとこんな国連のゲストですよ、撃たないでねという証を貸してくれます。

ちなみに私は服装チェックにかかって赤い服に着替えさせられました 。

 

いよいよ自由の家。ヒョンデ(現代)が建てて寄付したものだとか。

建てた目的は南北離散家族の面会場なんだそうですが、もろに南側の敷地なので赤十字が使っているそうです。

窓越しに会議場を訪れる北の楽園からの訪問団がたくさん見えます。

この日はガイドのウーさん曰く10年以上のガイド暦で一番の人数だったそうで、なかなかこちらから会議場に入れません。

「ハデハデのチマチョゴリを着たおねえさん」(ウーさん談)が大挙して来ているのです。

こっちは服装チェック厳しいし、日傘もさせないし、食い物はアレだし、北から訪問する方が自由で豪華な食事らしいです。

あまりにも入れないので先にとなりの監視台に登ることになって、そこから北の板門閣を見ています。

北からの訪問団がいますね。

屋根はトタンで修繕していました。

トタン...

南北首脳会談用だそうです。

南側だけにきれいです。

北の監視小屋。

こっちをむいたカメラやらアンテナやらあって緊張します。

こちらの監視台の中はきれいな装飾がありました。
キター。

ついに会議場の中。

兵隊さんの右側は北朝鮮領内。

机のマイクが国境。

右にも北からの入り口がありますが、ここにも兵士がテコンドーのかまえで後ろのドアが開いて拉致しようとしても大丈夫なように立っています。

見終わって出口に帰ります。

左上の旗は国連軍参加国です。

窓の中は同時通訳室。

当然カメラがありますね。

何でも帰る時に振り返って兵士を見ると面白いらしいですが、見るのを忘れてしまいました。

窓から見ると当然のごとくコンクリート製の国境があります。
見終わってバスに戻ると、大胆にも会議場の手前を通って帰るのです。

ここは写真取り放題とはいえ窓の開けられないバスからではねえ。

ポプラ事件の木の生えていた跡。

どういう事件だったかはこれを見た人が自分で調べてください。

帰らざる橋。

一度渡ると二度と引き返すことが出来ないという。


この後国連キャンプで昼食を食べて土産買って帰りました。

南北分断の現状はこんなものです。

50年以上戦争は続いているのです。

で、戦争といえば戦争記念館なので新羅ホテルから地下鉄で行きました。

ミリタリーおたくな同行者は楽しかったようですが、私は苦痛以外の何者でも無かったです。

庭には本物の兵器がそのまま置いてあるのです。

建物の中は古墳時代の矢じりから三国時代、近世と来て朝鮮戦争がものすごい物量で紹介されています。


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